top of page

しっかり知ろう!金融の歴史

更新日:2023年5月24日

目次


日本では1980年代後半から1990年頃にかけて「バブル経済」を経験しました。歴史をみていくと、バブルは日本だけでなく、世界中で起こりました。同じ間違いをしないための教訓として「金融の歴史」をしっかり学んでおきましょう。


歴史上最初のバブル景気

チューリップが初めてヨーロッパにもたらされたのは16世紀中頃といわれています。

今でこそ気軽に楽しめるチューリップの花ですが、16~17世紀頃は珍しい希少な植物でした。

そのため、当時の貴族や資産家などの富裕層にとって、花壇にチューリップが咲き誇ることは1つのステータス=「 富の象徴 」であったといわれています。


チューリップはウイルスによって珍しい模様の花を咲かせることがあります。

この模様こそが、当時の人々には非常に高く評価され、特殊な模様が入るとより高価な値段がついたそうです。ごく普通の一般庶民でも購入できた球根が、ある日突然とんでもない高値で取引されるようになったため、なかには球根1個で高級住宅が買えるほどの値段がつくこともあったとか。


ところがチューリップの球根は、そう簡単に増やすことはできず、球根は瞬く間に売り切れてしまいます。供給量が追い付かないため、価格はみるみる高騰。常設の取引所がアムステルダムやロッテルダム等で開設され、ついには今でいう先物取引のような来年、再来年出荷分の球根を買い取る権利の売買が行われるなど、チューリップの投機熱はますます加速していきました。


しかし、実態の伴わない価格高騰は必ず崩壊するものです。

「これ以上の高値で買い取る買い手がいない」という噂が一気に広まり、チューリップの価格はある日突如として大暴落、ついにはどんな価格でも売れないという事態にまで発展してしまいました。


これが歴史上世界で最初のバブルといわれています。



バブルの語源となった「南海泡沫事件」

戦争で経済的に疲弊した英国政府の意向で、1711年に「南海会社」が設立されました。この会社は、国からの独占権利として南米との貿易権を与えられ、その貿易で稼いだ利益でイギリスの代わりに借金を返済することが期待されていました。


しかし、密貿易やスペインとの関係悪化、海難事故等により本業では全然儲からず、借金の返済どころか経営が危うい状況でした。追い込まれた南海会社は1719年、国債の保有者たちに、「国債に見合う南海会社の株式を発行する」という計画を打ち出しました。


その内容は、新株の発行価格を水増しして引き受けた国債との差額を利益として積み上げ、見せかけの利益を大きくして株価を引き上げていったのです。


期待通り、南海会社の株価はどんどん上がっていきました。この成功を見た多数の会社が無許可で乱立され、同じ手口での新株の発行が相次ぎましたが、南海会社で「株は儲かるんだ」と学んだ市民が、よく分からない会社の株までも買い漁るという空前の投資ブームが発生しました。


当時のイギリスでは政府の許可なしに会社を設立することが禁じられていたにも関わらず、無許可での会社乱立が相次いだため、英国政府は1720年「泡沫会社規制法」を制定、これによりこの時期に190社設立された会社が、4社しか残らず、南海会社以下すべての株価が暴落しました。


このように設立された企業が泡のように消えていったことから「バブル」の語源となっています。


日本におけるバブル経済とバブル崩壊

日本におけるバブル経済とは、1980年代後半から1990年初期にかけて起きたことを指します。

きっかけは1985年9月の「プラザ合意」。この頃、過度なドル高による貿易赤字で悩んでいたアメリカの呼びかけで、アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・日本の5ヶ国によりドル高の是正に向けた協調政策を決定しました。会談がニューヨークのプラザホテルで開催されたため、プラザ合意と呼ばれています。


プラザ合意により、ドルの価値が下がり(ドル安)、アメリカは不景気を脱することに成功した一方で、円の価値が上昇(円高)、輸出に依存する日本経済は大打撃をこうむっていました。


この円高不況を打開するため、日本銀行は金融緩和政策(公定歩合引き下げ)を行いました。公定歩合とは日本銀行が民間の金融機関に貸し付ける際に適用される金利です。金利が下がり、銀行から融資を受けやすくすれば、企業は積極的に設備投資を行い、経営を立て直していくことができるからです。

不況から脱却しても、低金利は続き、かつ、いくらでも融資を受けられる状態が続いたため、企業や個人は、土地や株式を投機的に買いあさったり、それらを転売して利益を得たりするようになりました。

日本中がそのような状態であったため、土地も株式も物価もどんどん上昇。企業は本業での利益が少なくても、投資での利益が大きいため、従業員の給料もどんどん上昇していきました。


しかし、地価の急激な上昇は、さまざまな社会問題を引きおこすことになりました。

不動産業者が大規模再開発のため、まとまった土地を手に入れようとする、いわゆる「地上げ(じあげ」行為を行ったり、地価とともに高くなった固定資産税や相続税を支払えずに、住んでいる家から退去したりするようなことが増えてしまいました。


このような状況を打開すべく、日本銀行は金融政策転換(公定歩合引き上げ)を行い、日本政府は土地基本法を制定し、土地保有に課税する地価税を導入しました。不動産の融資についても限度額を設けて借り過ぎや貸し過ぎを防ぐ(総量規制)など、急激な引き締め政策を行ったのです。日本銀行や政府は、土地などへの過剰な投資を抑制し、地価が適正な価格に落ち着くことをめざしたのでしょう。

ところが地価税の導入により必要以上に不動産を所有するメリットはなくなり、多くの不要となった不動産は売却に出されました。それに伴い、企業の業績も悪化。結果として、土地や株式の取引は一転して暴落、バブル経済は崩壊となってしまったのです。


そこから日本の景気は著しく低迷し、企業の倒産や給与カットやリストラが増え、融資した金融機関の啓江も、物価は下がり続けるといった、いわゆる「 デフレ経済 」になったわけです。


どのような状況下でも大切な資産を守る方法

昨今の世界的な状況を見ても、今後、世界がどのように変化し、どのような経済状況になるかを完璧に予想することは不可能です。
どのような状況下に置かれても対応できるよう、過去の経験を未来への糧として、しっかりと自己防衛できるようにしておくことが非常に重要です。


Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page